お知らせ

2019年8月6日

ラ・パンセ(瞑想)の像

8月6日。当社も原爆により工場や生産マニュアルも焼失し、指導する人もいないなかで、残された社員一同が瓦礫の山を掻き分け、手探りで会社の復興に励んだそうです。

原爆後の皆実町(左上の橋は御幸橋、真中はガスタンク、右側が味日本)

そこで、平和関連の話ですが、平和大通りの一角(広島クリスタルプラザ近く)に立つ裸婦像を見たことありますか?

実は、この裸婦像、当社が寄贈したものなんです。

世界平和を祈願するとともに会社関係犠牲者の冥福を祈り、戦後の復興に市民の潤いになればと、平和大通りに当社寄贈の柳原義達(やなぎはらよしたつ)作の「ラ・パンセの像」及び、「瞑想」の石碑が1953(昭和28)年7月に設置。
戦後いち早く設置された彫刻だそうです。

会社の古い資料には、当時の広島市長、浜井信三さん(広島平和記念公園の建設や100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った方)から、100m道路がさみしいので、美術的憩いの場にふさわしい物(平和のシンボルとなるもの)を寄贈して欲しいと依頼され、1951(昭和26)年1月、戦後始めて新制作展が開かれ、来広した柳原氏がまのあたりに広島と原爆を見て芸術家としての感覚でそれをとりえた。とあります。

そのころの広島がまだ戦災復興の途上にあったことを思うと、この裸婦像の設置はかなりチャレンジしたものだ思います。

設置された当時の光景

当社では先輩達が築きあげてきたものを、今後も引き継いでいくため、この平和都市広島から「味日本にまかしんさい!」のスローガンのもとにチャレンジしていきます!

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